今回は、ハン・ガンさんの作品について、前半は韓国とフランスでの反応、後半は7作品のレビューをお届けします。
ノーベル文学賞受賞とその理由
2024年10月10日、スウェーデン・アカデミーはハン・ガンさんにノーベル文学賞受賞を授与すると発表しました。
受賞理由は
「歴史のトラウマと向き合い、人の命のはかなさをあらわにする強度の高い詩的散文」
初のアジア人女性受賞ということでアジア文学全体の評価向上にもつながり、特に女性作家の未来を明るくする大きな一歩となりました。
また、文学翻訳の重要性についても改めて注目が集まっています。
韓国の反応
● 書店の行列と販売部数
- 「ハン・ガンさんなら将来ノーベル文学賞を取るだろう、と言われていたが、まさかこんなに早く受賞するとは想像していなかった」
- 発表後、多くの韓国人が驚き、その直後に各書店に行列ができ、作品を買い求める人であふれた
- 発表から5日間で100万部を突破(韓国人口は日本の半分ほどなので、体感的には日本でいう200万部にも匹敵する勢い)
韓国では村上春樹さんの『1Q84』が8か月かけて100万部を突破した前例がありますが、ハン・ガンさんの場合はたった5日間。
これほど読書人口が減っているといわれる韓国での爆発的ヒットは驚くべきことです。
● 「ブラックリスト」に載るアーティストは成功する?
ハン・ガンさんは2010年代半ば、当時の大統領パク・クネ政権下の「ブラックリスト」に名前が掲載されていたことでも有名です。
パク・クネは軍事独裁者だったパク・チョンヒの娘。
映画『パラサイト』のボン・ジュノ監督や『Old Boy』のパク・チャヌク監督など、他にも有名アーティストが同じリストにありました。
韓国では、「ブラックリストに載る人は、アーティストとして成功する」という言い伝えすらあるそうです。
フランスの反応
● メディシス外国小説部門賞とノーベル賞
フランスの主要新聞社や通信社は、
- 「韓国から初めて、しかも女性作家が受賞した意義」
- 2023年にハン・ガンさんの作品『不可能な別れ』がメディシス外国小説部門賞を受賞したことが、ノーベル文学賞にも大きく貢献したのでは
と好意的に報じています。
メディシス賞はフランス4大文学賞の1つで、ブッカー賞やピューリッツァー賞と並んで国際的に注目される文学賞。
その権威ある賞を受けたことで、ハン・ガンさんの評価がさらに高まったといえます。
● フランス語版・絶版本について
ハン・ガンさんの代表作はフランス語にも訳されており、『菜食主義者』『少年が来る』『別れを告げない』『ギリシャ語の時間』『すべての白いものたちの』が出版。
中には絶版になっているものもあります。
また、日本語には訳されていない作品がフランス語には存在したり、その逆もあったりと、翻訳事情も国によってさまざまです。
ハン・ガンさんの作品7冊レビュー
ここからは、7作品について、簡単なあらすじと感想をまとめます。
どれから読んだらいいか迷う方は、ぜひ参考にしてみてください。
『菜食主義者』
- 内容:妻・ヨンヘがある日突然肉を拒否し始めたことをきっかけに、周囲が巻き込まれていく3部構成の連作小説。第1部「菜食主義者」は夫の視点、第2部「蒙古斑」はヨンヘ姉の夫の視点、第3部「木の花火」は姉インヘの視点で進行。
- 感想:
- 文章・文体の柔らかさと鋭さに衝撃を受けた
- 現代美術を鑑賞しているかのような、視覚的かつ感覚的な世界観
- 「日常の凡庸な暴力」を植物と動物を比喩にして描かれている
2016年にイギリスのブッカー国際賞(マン・ブッカー国際賞)を受賞したことで世界的に知られるきっかけとなった作品。
ハンガさんの代表作として、まず最初に手に取るのをおすすめします。
『少年が来る』
- 内容:1980年、韓国全羅南道・光州を中心として起きた民主化抗争とその犠牲を描いた長編小説。軍による暴力鎮圧によって命を落とした市民・学生たちの視点を通して、歴史的惨劇を「現在」に呼び戻す。
- 感想:
- 「覚悟を決めて読まないと」いけないほど、読者に痛みや苦悩を追体験させるような強烈な文章
- 韓国の現代史を知るためには外せない作品。トラウマからの回復までを、さまざまな視点で丁寧に紡ぐ
- 英語訳では各章のタイトルが大きく変更され、語り手や主人公を強調する形になっているなど、翻訳の違いも興味深い
韓国では「この作品から読んでほしい」とハン・ガンさん自身が語るほど、祖国の歴史が凝縮された作品です。
『別れを告げない』
- 内容:『少年が来る』の続編のような始まり方。ジョンシムという女性と、娘インソン、そして大学からの親友キョンハの3人が中心人物。過去の事件によるトラウマが、現在の生にどのように影響を与えるのかを追う。
- 感想:
- 夢や幻想的なイメージが頻出し、幻と現実のあわいを行き来するような筆致
- 200ページを超えたあたりから一気に物語に引き込まれる
- 愛があるからこそ苦痛を感じる——忘れられない悲しみや愛を描いた「別れを告げない」というタイトルの意味が深い
フランス語版は「L’Impossible Adieu」というタイトルで出版され、メディシス外国小説部門賞を受賞。
日本語訳も繊細で美しく、「苦痛」だけでなく「愛」もテーマに据えた作品です。
『すべての白いものたちの』
- 内容:原題は『흰』(フィン、=白)。ハンガさんの作品中、インスタなどで特によく目にする人気の1冊。
- 感想:
- 「日本人読者には、まずこの作品から読んでほしい」と著者自身が言うほど、美しく静かな雰囲気
- ハン・ガンさんの持つ偏頭痛や胃痙攣などの痛みに対する繊細な表現力が随所に感じられる
- 「おくるみ」というパートでは、生まれて2時間で息を引き取った赤ん坊の描写が非常に印象的
詩的でありながら短いパートが積み重なる構成で、「菜食主義者」の激しさとは違う読書体験を味わえます。
『回復する人間』
- 内容:原題は『노란 무늬 영원』(黄色い模様、永遠)。痛みと回復をテーマにした短編集。帯のコピーは「痛みがあってこそ回復がある」。
- 感想:
- どの短編も、身体と精神の傷が繊細かつ鋭利なタッチで描かれる
- 短編ならではの凝縮感があり、ハンガさんの「象徴的な言葉選び」が生きている
- 解説もわかりやすく、日本語訳の素晴らしさを実感
『ギリシャ語の時間』
- 内容:突然言葉を失った女性と、視力を失いつつある男性が出会い、古典ギリシャ語を学びながら再生していく物語。
- 感想:
- 「この本は、生きていくということに対する、最も明るい答えを提示する作品」とハン・ガンさん自身がコメント
- 「痛み」「回復」「記憶」「孤独」「喪失」からの再生という、ハンガさんの主要テーマが凝縮
- 私的な文章ではあるが、言葉の裏側にある「余白」や「響き」にこそ美がある、と感じる
『引き出しに夕方をしまっておいた』(詩集)
- 内容:ハン・ガンの初の詩集。小説家である一方、もともと詩人でもあることを再認識させられる作品。
- 感想:
- 韓国では詩が長らく社会的抑圧への抵抗手段として大切にされており、今も若者に親しまれている
- ハン・ガンさんの詩は、痛みや切なさ、優しさを凝縮したかのようなテイストで、小説とはまた違う味わい
「大丈夫(괜찮아)」という詩を紹介します。
以下、抜粋・意訳した朗読です。
『だいじょうぶ』
生まれて二か月経ったころ
子どもは毎晩泣いていた
おなかが空いたからでもなくどこか具合が悪いからでもなく
何の理由もなく夕暮れから晩まで三時間ずっとこの泡のような子が消えてしまいそうで
私は両腕に抱きしめ家の中を何度も歩き回りながら聞いた
どうしたの。どうしたの。どうしたの。
私は涙がこぼれ落ちて、子どもの涙に混じることもあったそんなある日、ふと言ってみた
だれが教えてくれたわけでもないが
だいじょうぶ、だいじょうぶ。もうだいじょうぶよ嘘のように子どもが泣き止みはしなかったけど、
落ち着いたのはむしろ私の涙だったけど、
ただの偶然だったろうけど
何日かして子どもの黄昏泣きが止まった三十歳を過ぎてようやくわかった
私のなかのあなたがすすり泣くとき
どうすればいいのかが
泣き叫ぶ子どもの顔を覗きこむように
塩辛い泡のような涙に向かって
だいじょうぶどうしたの、ではなくだいじょうぶ。
もうだいじょうぶよ。
まとめ
以上、ハン・ガンさんの7作品を中心にレビューしました。
どの作品も「弱者に寄り添う視点」を強く持ち、読むほどに胸の奥に眠っていた傷や痛みを“喚起”するような感覚に襲われます。
それこそがハン・ガンさんの文章の強烈な魅力なのでしょう。
繊細で私的、象徴的でいて美しいハン・ガンさんの文学世界。
ぜひ一度手に取ってみてください。
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